【随筆】「語ることなし」山本周五郎自身の書いた父母の話 ー「松の花」の原型となったエピソード
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- Опубликовано: 20 окт 2024
- 朗読 山本周五郎
今回の動画に収録した山本周五郎氏のエッセイは新潮文庫の『酒みずく・語ることなし』にあるものです。その随筆集が刊行された経緯を、以下に記します。
昭和22年から晩年に至るまで山本周五郎氏の編集者として親しく接し、感化を受けた木村久邇典氏が、「山本が“雑文“と称して時に発表する随筆の類も、長い期間には、識らず識らずのうちに、一冊の書物にまとめられる程度の分量に達しているのではあるまいか」(『雨のみちのく、独居のたのしみ』新潮文庫・解説より)とお考えになりました。そして山本周五郎氏の講演速記録を加えて中央大学出版部から『小説の効用』が昭和37年1月刊行されました。それに続き『完本・山本周五郎全エッセイ』が、山本周五郎氏の随筆や対談、座談会記録等をさらに収集、中央大学出版部から公刊されました。(『完本・山本周五郎全エッセイ(増補版)』は続く数次の改定による)
そして近年、新潮文庫から、2冊の随筆集、『雨のみちのく・独居のたのしみ』『酒みずく・語ることなし』が刊行されています。木村久邇典氏の解説にあるように、これらは『完本・山本周五郎全エッセイ』を底本とし、「編集上の再整理をおこない、より統一性ある布置」にしてこれらの文庫は編まれました。
この動画で朗読している「語ることなし」は昭和32年11月(春陽堂刊)の『続・おふくろの味』から採録されたものです。
懐かしい大切なお母様のお話し有り難う御座いました❣️
私の母は4人兄弟姉妹の末っ子のわたしを、、、子わ小さいからと,クリスマスケーキを4等分にカットして一番に選ばしてくれましたねー。
その中に少し大きく切ったケーキを目👀で知らせてくれましたねー❤後から皆んなから、、、子わ何時もと怒られた事を、周五郎先生の思い出話しで母思いました❣️
大切なお話しを有り難うございました。
M S様の声に元気が無かったみたいで心配しております お体ご自愛ください❣️
早速のご視聴本当にありがとうございました。
ご自身のなつかしいお母さまとの思い出、素敵ですね。今回の声は静かすぎたでしょうか、体はいたって元気でおります。ご心配ありがとうございました。
いんでんがわ?わからん。ググる。鹿に漆。東京、奈良、山梨が産地。勉強になる。MMC様朗読よいなあ。Thanks。
さっそくのご視聴本当にありがとうございました。自分も印伝革なぞ、知りもしませんでした。周五郎先生の作品を読んでいくと、いろいろ勉強になります。「よいなあ」のお言葉、とても嬉しく頂戴しました。ありがとうございます。
わたしの生母と継母は料理がじょうずでした。生母がピースご飯をつくるとき、青いさやをむいて豆を取りだす手伝いをするのが好きでした。しゃもじでカルメラを作ってくれるのが楽しみでした。戦後甘いものがありませんでしたから。しかし彼女は男をつくって、幼いわたしたちを置いて出ていきました。わたしにご飯の炊き方や包丁の使い方を教て・・・ありがとうございます。
さっそくのご視聴本当にありがとうございました。周五郎先生の文章から、ご自分の幼い日々を思い出されたのですね。良い思い出も、切ない思い出も。お二人のお母さま方がどちらも料理上手だったことはお幸せでした。料理べたな私はとても羨ましいです。ありがとうございました。
この話、日本婦道記に出ていますね。
早速のご視聴本当にありがとうございました。おっしゃるように、このエピソードが「日本婦道記」の第1作「松の花」に書かれています。ありがとうございました。
母を思い出しました。
今年の四月に十三回忌を身内だけでやりました。
思うに地味で苦労ばかりの人生だったでしょうが、人が好きで明るい母でした。
ある事情から娘(姉)を実家に残し、養子の兄を抱え困っていた中年鉱夫(父)
と再婚し、三十路半ばで私を生んでくれました。
亡くなるまで酒好きで無学な父に苦労したのを見ています。
父が亡くなった直後には胃潰瘍で胃を1/3切除、これが原因で胃ろうもできず。
初婚の若い男性との見合い話も並行して有ったのになぜ選ばなかったか・・?
そうであれば私は生まれてませんでしたが、縁の不思議を感じます。
最後は声も出せず八か月寝たきりに、入浴時や着替え時、流動食を喉から、
体調が不調でない時は感謝を表情でもって周囲に伝えていたとのことでした。
死を前に動じない覚悟ある気高い人生だったと思います。漢気の女性。。
遺影は元気だった折に桜並木を入れて孫(姉の長男)が写してくれた写真です。
黒い縁取りじゃなく桜色の額の中で微笑しています。私にはモナリザです。
周五郎先生のお話から、お母さまを思い出されたのですね。ご苦労の多い人生だったとのことですが、明るく、気高く、そして良いお子様・お孫様にめぐまれ、多くの方に慕われて、お幸せな人生だったと想像されます。私の「モナリザ」、素敵なお母さまです。ありがとうございました。
いつもながら、朗読はすばらしい。
ぱさぱさがよかった。
しかし、生母は、書くと言ったら嫌がっただろうけれども、そこまでは反対しなかったでしょう。
自分の人生を生きた母は、周五郎の人生を生きる息子を、反対するわけない。
子供に晒されて、恥ずかしがるだけだったと思います。
最低限のものしか与えず、何も取り上げない。子供の人権を考えていたかも知れない。
おそらく、全ての人の人権を想っていたかも知れない。
さっそくのご視聴を本当にありがとうございました。「自分の人生を生きる」ことが出来れば、そんなに幸せなことはありません。子供のそばにさりげなくいただけだったかもしれない周五郎先生のお母さまは、素朴でも他者を尊重する精神がおありだったのですね。ありがとうございました。
34年マザー牧場⁉️ハルナBEKU😂😢❤🎉
ご視聴たいへんありがとうございました💛💛